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シュージンの考え・思考

「鬼滅の刃」と「この世界の片隅に」に感じる美しさ

令和の時代に参上!

脱獄王のシュージンです。

 

いや〜、ついに発売されましたね。

鬼滅の刃20巻!

早速発売日にでも書店に買いに行こうかと思ったのですが、

やっぱり甘かったですね。

もう、売り切れでした笑

 

ということで、

まぁ、売り切れもないし、今すぐに見れる電子書籍があるじゃないかと。

ってわけで、Kindleで買って、早速読みましたよ〜。

 

いや〜、熱いですね。

内容についてはまだこれから読む方もいると思うし、

初めから読んでないって人にはちんぷんかんぷんだと思うので、

話しませんが、

 

特にこの20巻を呼んでみて、

 

生き様が美しいなって

 

強く感じました。

 

この物語の時代背景は大正時代で、

古き良き日本人の感覚が残っているのと同時に、

「鬼」という人間への脅威によって、

人にとって「死」というものがより日常生活の中の身近なものとしてあります。

 

特に鬼滅の刃の主人公が属する、

直で鬼を対峙する組織「鬼殺隊」のものならば尚更です。

 

彼らは齢にして10代〜20代の若者たちですが、

彼らはその歳にして、すでに「死への覚悟」というものを、

しっかりと持っているのです。

 

死への覚悟とは何なのか。

それは、自分の命よりももっと優先順位の高いものを持つこと

だと私は思います。

 

例えば幕末の維新志士。

彼らは倒幕のため、尊王攘夷のため、幕府に代わる新しい新政府の樹立という、

大きな目的があり、その目的のためであれば命を捨てる覚悟があった。

 

例えば、大東亜戦争の特攻隊隊員。

行為の是非はともかく、彼らは、国のために、ひいては、

自分の故郷や守べき家族のためであれば命を捨てる覚悟があった。

 

どちらも、自分の命よりも大切なもの、

優先順位が高いものがあるから、

死ぬことへの覚悟ができる、と言えます。

 

別に意味もないのに好き好んで自分から死ににいく、

というのは違いますが、“必要である”と判断した場合には、

躊躇なく、もっと大いなるもののために、

自分の命を捧げる覚悟があったのです。

 

話変わって、もう一つ私の中で好きな漫画があります。

それが、「この世界の片隅に」という作品。

 

数年前にアニメ映画化され、大ヒットしましたし、

そのリメイク版が今年公開されています。(コロナの影響でまだ観に行けてませんが・・。)

 

「この世界の片隅に」の舞台は第二次世界大戦の日本(広島)。

ここでも、「死」というものが、現代の日本よりもより身近にありました。

 

日々の空襲でたくさん人が死んでいきます。

出征によって、家族が、肉親が亡くなっていくのは日常茶飯事です。

 

その中でも力強く生きていく人たちを描いているのですが、

それがまた美しい。

 

「この世界の片隅に」に出てくる登場人物たちは、

別に特別「死」への覚悟がある、というわけではありません。

 

でも、「死」というものと常に背中合わせで、

それを意識はしている。

 

なんか、人が死のうが、自分が死のうが、

「仕方なかったね」

 

で、終わってしまう潔さがあると思います。

 

2つの作品は、

 

「死への覚悟」

「死への諦め」

という、

 

能動的(=覚悟)、受動的(=諦め)というベクトルの違いはあれど、

どちらも、死というものを受け入れて、

それを踏まえて、今日できることを精一杯やっている、という健気さがあります。

 

この世界に生きている場合、明日死ぬかも知れないし、

今日死ぬかもしれない。

 

もっというと、今この瞬間に死ぬかもしれない。

 

それをわかった上で、受け入れた上で、

たとえ今日死ぬ運命にあろうとも、

一切自暴自棄になどならず、

今日を精一杯生きること、自分のできることを全力でやる。

 

つまり、生きることに全力なんです。

 

死ぬ覚悟を持つ、死を受け入れるというと、

ネガティブなイメージを持ちやすい現代ですが、

 

死を意識するということは、

それだけ生きることに対して全力である、ということです。

 

 

今年はコロナの影響でなかなか見に行けませんでしたが、

日本人は桜に対しても独特の美しさを感じる感覚を持っています。

 

もちろん、綺麗で華やかなのはありますが、

満開で咲き誇っている期間は短く、すぐに散ってしまうところに、

より美しさを感じるはずです。

 

もっというと、その散りゆく様に、美しさを感じます。

 

別に、散ること=死にゆくこと、そのものが美しいものだとは思いません。

その花びらとしてどんな花を咲かせて、どういう散り様を迎えたのか。

そこに美学を感じるのです。

 

 

人間も花びらと同じで、いつかは死にます。

その死に行く日まで、どれだけ花を咲かせることができたか。

 

そして、その散り際が、どれだけ美しいか。

 

そのゴールを見据えてるからこそ、

あの満開の桜を見て、私たちは心を動かされるのではないでしょうか。

 

そういう想いで、意識で、覚悟で、

自分自身も、一日一日を全力で全うしていきたいと思った、

今日この頃です。

 

それでは、今日はこの辺で。

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